実名主義?

最初にブログやSNSを利用した実名コミュニケーション教育を提言~総務省研究会に関連した新聞記事をネットで読んだときには、実名発信の危うい部分を無視して教育が進められてしまうのかと危惧したのですが、元資料にあたってみると「情報フロンティア研究会報告書(PDF)」の46ページには「サイバースペース上で実名又は特定の仮名で他人と安全に交流することを自然の術として身に付けるための教育が必要である」と書かれていますので、そのあたりは取り越し苦労だったみたい。

ついでなので、去年の日記でも書いた実名でのコミュニケーションの危険の話について。実名でのコミュニケーションの危険性は大きくわけて二つあるのではないかと私は考えています。

  1. ネットの発言を読んだ人に自分が誰であるか(所属情報等)を知られ、場合によっては住所や電話番号等も調べられる可能性があること。
  2. 自分の実名を知っている全ての知り合い(家族、友人、恋人、元恋人、会社の同僚、現在は疎遠となった友人、近所の人、(個人情報を知られている)利用している店の店員)に自分のネット上の言動を全て知られる可能性があること。(しかも場合によっては永久にその記録が残り、検索される可能性があること)

1.の可能性は理解していても、2.の可能性を想定せずに実名でネットに参加している人は結構いそうな気がします。

あと、2.の危険性は、同姓同名の数の多さによって全然違うので、ありがち名前の人が自分の基準で2.の危険性を判断して、他の人に実名でのコミュニケーションを強いたりしないでほしいなあ…と思います。
もっとも、2.については、ネットでの発言のパブリック部分とプライベート部分をちゃんとわけておいて、実名で情報発信を行う場合は、パブリックな、誰に知られても差し障りのないことについてのみにしておけば問題はないわけですが。

もうひとつ。ネットリテラシーの問題の難しさは、テクノロジーの発達によって「安全なこと・危険なこと」「やっていいこと・いけないこと」の区切りも変わってしまうことではないかと思います。私が最初に「安全講座」の文章を作成したとき(1999年1月)には、googleは存在しなくて、全文検索といえば(当時ヒット率がイマイチだった)gooくらいしかなかった時代でした。当時はダイヤルアップ接続がほとんどで、接続しなおすとIPアドレスが変わるのが普通だったし、無線LANも一般化してなかったし、Winnyどころが2chすらありませんでした。(当時はあめぞうが活発でしたが、今の2chと違って一般人が気楽に見に行くようなところではなかったですし。)
だから「安全講座」の内容は実情には合ってないわけで、時勢にあわせて適切にupdateできないなら削除するべきじゃないかと迷う部分もあるんですよね…